法市農村舞台第二回公演…4
「さんしょう太夫」を烏が演出

いよいよメーンの「新曲 さんしょう太夫―鳥おい歌の段」。福田さんの口上で始まり、藤尾さんの語りと三味線で村役人の次郎右衛門(遣い手は田中美紀子さん)と山岡が登場した。
 舞台の設定はこうだ。姉あんじゅ(安寿姫)とつしおお(厨子王)は人買いの山岡にだまされ、母と離ればなれに売られ、さんしょう太夫の奴隷となった。あんじゅはつしおおを逃がすため、湖に身を投げ、その騒ぎの間に、つしおおはさんしょう太夫のもとを抜け出し、鍛冶屋となって、母を捜しに佐渡ケ島にやってきた。次郎右衛門と山岡は長年ぐるになって人をさらい、売り買いしてきた。最近、人買い禁止例が厳しくなり、奴隷たちをタダラの郷に隠している。悪者二人はそこへやってきた、つしおおを警戒し、殺してしまおうと密談する。「鳥おい歌の段」はその場面から始まる。
 さんしょう太夫は伝説上の人物で、丹後国(現在の京都府北部)由良の富者で、強欲非道と伝えられる。名は、山椒売りの長者、または3つも山荘を持つ長者の意味で、「山椒太夫」のほか「山荘太夫」「三荘太夫」とも書く。民俗学者の柳田国男は「山荘太夫考」の中で、山伏(やまぶし)と同じ意味の「山所太夫」、語り物をもって流浪する芸人を意味する言葉が、いつか物語の長者になったのではないかと推察している。伝説を脚色して説経節、五説教の一つとなり、江戸初期に流行した。その後、浄瑠璃や歌舞伎になり、浄瑠璃の外題には「三荘太夫五人嬢(むすめ)」などがある。文豪、森鴎外は伝説をもとに、安寿と厨子王の受難と姉弟愛を描いた小説「山椒太夫」を大正4年(1915年)に発表した。
説経節のあらすじは以下の通り。安寿と厨子王は、筑紫安楽寺(今の太宰府天満宮)へ配流となった父を訪ねて母と旅をしていた。越後の直井の浦(今の直江津、徳島人は1990―93年新潟赴任でたびたび訪れる)にさしかかったとき、人買いが一家を襲う。姉弟はさんしょう太夫のもとへ、母は佐渡島に売り分けられてしまう。幾多の試練に耐え、姉弟はある日柴刈りにでかけ、安寿は厨子王を逃がす。一人、館に帰った安寿は火責め水責めの拷問で16才の短い生涯を閉じる。追っ手から逃れた厨子王は目通りがかなった都の帝から丹後の守を任じられ、姉の残酷な最期を知り、さんしょう太夫一門を極刑とし、すべての奴隷を解放する。そして、母を捜し、一人佐渡へ渡る…。

日本人が日本語で日本人に訴える

「新曲 さんしょう太夫―鳥おい歌の段」は説教浄瑠璃正本をもとに、タカクラ・テル作・平井澄子作曲で1967年につくられた。説経節とは異なり、厨子王を「つしおお」と呼び、偉い役人ではなく身近な存在の鍛冶屋として登場させる。安寿の残酷な死も避け、湖に投身自殺した設定で、母と子の深い愛情を中心に描いている。作者のタカクラ・テルはさんしょう太夫を扱うほとんどの語りが非常にわかりにくいものになっていることに心を痛め、誰にもわかる言葉に直した。「ニッポン人がニッポン語でニッポン人にうったえる音楽で、そのことばがわからなかったり、内容が正確につたわらなかったりすることが、ぜったいにあってはならない」とのタカクラ・テルの言葉は実に重みがあり、あらゆる日本の文化・芸術に共通した警句だ。藤尾さんはじめ花こまのメンバーはこの趣旨をよく理解したうえでわかりやすさを追求している。
 ちなみにタカクラ・テルは本名を「高倉輝豊」といい、1981年(明治24年)高知県高岡郡口神ノ川に生まれ、京大英文科を卒業後、社会運動家、言語学者、小説家となった。京大嘱託時代から戯曲を手がけ作家になることを決意し、土田杏村が提唱した民衆のための「自由大学」に共鳴。1922年(森鴎外が「山椒太夫」を発表してから七年後)長野県上田市に住み、自由大学運動や農民運動に携わり、神奈川県に移ってから、国語国字合理化運動を通して小説や戯曲を次々と発表した。「百姓の唄」「大原幽学」「狼」は名作といわれ、長年の調査研究をもとにした「ハコネ用水」では、文学と政治の結合を図る国民文学の確立を目指した。
 作曲者の平井澄子は1913年千葉県に生まれ、箏曲、新内節、宮本節、俗曲・端唄、木遣りなどを習得。東京音楽学校(現東京芸大)では能楽を学び、宮城道雄にも師事した。十代から作曲を始め、天才少女といわれ、戦後は1954年から「邦楽リサイタル―平井澄子邦楽実験室」と題した演奏会で、様々なジャンルの歌や踊り、自作品を発表。日本の歌だけでなく、インドやモンゴルなど海外の民謡も歌った。61年に文化庁芸術祭奨励賞を受賞。62年頃から勤労者音楽協議会(労音)での活動を始め、「新曲まんざい」など多くの曲をつくった。
 65年には坂井敏子氏、大塩寿美子氏と民族楽団「ふきの会」、86年に坂井、大塩、近藤幸子各氏と「初心の会」を結成。邦楽界だけでなく舞踊界や演劇界への楽曲を提供するなど多方面で活躍し、グレゴリオ聖歌の基本的な節を謡のように歌い、長唄三味線、地歌三絃、筝、笛、小鼓、オルガン、ビブラフォンなどを駆使した代表作「切支丹道成寺」で、文化庁芸術祭賞や宮城賞を受賞した。「新曲 さんしょう太夫―鳥おい歌の段」は1967年、タカクラ76歳、平井54歳の円熟味を増したときの作品で、それだけ味わいが深い。

 舞台に戻ると、つしおおが登場。つしおおは山岡とのやりとりの中で、自分たち親子をだました相手だと気づき、詰め寄る二人と格闘の末、「岩石落とし」で山岡を倒す。車人形ならではの動きの激しい演出だ。
 〜この手でおっかあを殴ったか!この足でおっかあを踏みつけたか!〜
 憎しみがつきないつしおおは「怒りの涙、怒りの拳」で山岡の死体を殴りつける。
 〜よくも数々の人間に数々の嘆きをさせよったな! 畜生め! 人非人め! 世の罰、人の罰!〜
 茫然とたたずむ、つしおお。その耳にかすかに鳥おいの歌が聞こえてくる。
 〜あんじゅ恋しや ほうやれほう、つしおお恋しや ほうやれほう…〜
 聞き覚えのある、疑いもないわが母の歌。鳥追いは畑の作物の実や種をついばみに来る鳥おいを追い払う作業。折しも舞台近くでは烏が鳴き、ムードを盛り上げる。
 奴隷として酷使された母は視力を失い、最初、つしおおをいつもからかいに来る郷の童と勘違いし、棒で追い払う。
 〜おっかあ、このつしおおがわからんのか〜
 つしおおは悲嘆に暮れるが、幼い頃、聞いた母の歌をうたい、ようやく気づいた母子は抱き合い再会を喜ぶ。最後は母を背負い旅立つところで幕となる。
公演終了後、あいさつに立った藤尾さんは法市農村舞台保存会や阿波農村舞台の会の協力で今回の公演ができたこと、昨年の淡路での人形サミットがきっかけになったことなどを説明してくれた。

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1年がかりの第二回法市農村舞台公演が終わった。徳島人は感謝と満足の気持ちでいっぱいだ。本当にたくさんの人がかかわり、実現に力を尽くしてくれた。徳島人の師匠の森兼三郎氏は「農村舞台公演は一人でもやりたくないという人がでたら駄目。1回目より2回目、2回目より3回目が素晴らしい公演になるように力を尽くせ」とエールを送る。
 平成16年12月25日、法市は今年締めの大算用を開き、平成17年の第3回公演の実施を決めた。箱廻しを復活する会も平成17年正月は師匠のふるさと、三好町で門付けをすることが決まった。一つ一つ積み重ねることで、地域に根差した芸能を深め、地域に生きる人々の誇りを一層高めてゆきたい。


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阿波農村舞台の会