法市農村舞台第二回公演…2
箱廻しこそ人形文化の原点

年が明けた仕事始めの平成16年1月5日。徳島人は今度は、西宮神社が毎年催す「百太夫まつり」で三番叟(さんばそう)やえびす舞など祝福芸を奉納する阿波木偶箱廻しを復活する会(辻本一英代表)に、阿波農村舞台の会の会長である大和武生・四国大学教授と同行した。百太夫は言わずと知れた人形遣いの開祖。大阪歴史博物館では浄瑠璃姫、竹本義太夫、近松門左衛門と並んで展示がある。実はこの百太夫を奉った小さな社が神社本殿に向かって左手にあり、淡路人形遣い発祥の地である兵庫県三原町に住む居内春一さんが20年以上にわたり芸を奉納してきた。辻本さんの会は4年ほど前から居内さんのバトンを受けた。
 百太夫まつりには同会を除き、文楽座はもとより淡路・徳島の人形座は誰一人参加しない。復活する会は徳島唯一のプロの人形遣いで全国を公演で飛び回る日々を送る一方、人形遣いの文化を運んだ箱廻し芸人の足跡を調査して回っている。多忙だが、百太夫まつりへの奉納は欠かさない。常に自分たちの足元を見つめ原点を大事にする姿勢に徳島人はいたく感動した。
 もう一つ、同会が毎年欠かさない行事がある。池田や山城、三加茂、井川、三野、脇など徳島県西部で1〜2月に行っている正月の門付けだ。家々を一軒ずつ計約800軒も回り、三番叟まわしを奉納する。徳島人は平成16年の最終日、2月11日に同行を許してもらった。
 朝5時、石井町を出発し、山城町の祖谷口駅に着いたのは六時ごろ。まだ薄暗く気温は零度。道は凍り付き滑りやすい。こんな朝早く着いてどうするのだろうと思っていると、同会の南公代さん、中内正子さんはさっさと身支度を調え出て行く。待っている家があるのだという。門付け同行でびっくりしたのは迎え入れる家が1年も前から「来年は何月何日の何時ごろ来る」というスケジュールが分かっていることだ。南さんと中内さんは門付けが終わると、必ず来年の約束をしてから帰る。だからこんな朝早くでも玄関を開けて待っている家があるのだ。
  〜さんじゅうさんごうあらしをもって 祓(はら)いたまえ、清めたまえと申す…〜
 塩を出してくれる家では、まず塩祓いを行う。
 〜高天原に…家の内には三宝荒神…月の数は12月 日の数は360余間日の間、守らせたまえと 御願い奉る その御礼には 今日は 式三番叟 御神楽 拝し奉る〜
 祝詞をあげながら、新しい御幣を切り奉る。
 〜トートータラリアガリ タラリーヤ チリヤタリアガリ タラリーヤ…鶴と亀とが 齢(よわい)にてやアイヤ アイヨアイヤ 君の千歳は せぬことや 天津乙女の羽衣 アイヤ アイイーヤ…〜
 箱を開け、中からまず千歳が登場し、舞い始める。
 〜あげまきや とうどうや 色をまかりが とうどうや 舞のれんじじゃ とうどうや 千早振る振る 神の御言は ひがんにかれぞと…〜
 次に翁が舞い踊る。
 〜千秋万歳はよ 喜びの舞なればよ これがひと舞は 舞おうやよ 式三番叟 悪魔祓いの式三番叟は ほかいはやらん…〜
 三番叟が登場。黒い面をかむる。
〜まずはめでたい まずまずめでたや もひとつめでたい 西宮からえびすさんが 生まれ誕生は福徳元年正月3日…
大鯛小鯛 頭尾そろえて…港みなと 宝が入り船 金銀生糸…これから先々 稲作良ければ麦作良うて 商売繁盛 福が満々 この家の内へ…〜
 最後はえびすが舞い納める。
 歌いながら、箱から木偶を出し、舞い、収める一連の動きは途切れることがない。
 「三番叟が来な、うちの正月は明けんのよ」「我が家の神様が来てくれた」「足が痛むんでさすってくれんかの」。訪れる家々の多くは三番叟を歓迎する。彼らにとって三番叟は神社に奉られた神ではなく、まさしく「我が家の神」なのだ。人形芝居をある程度見慣れた徳島人にはよくわかる。文楽などを鑑賞するとき、観客の目は人形、人形遣い、大夫、三味線の間を気ぜわしく動くが、三番叟を迎え入れる家の人の目は人形に集中している。手を合わせて拝む人もいれば、三番叟が終わり中内さんらが声をかけても人形を箱にしまうまで人形をじっと見つめたままの人もいる。
この日は池田、山城両町で四十軒あまり門付けした。山道は険しく、柳行李を肩にかつぎ、鼓を小脇に抱えて、さっそうと歩く南さん、中内さんの姿は頼もしい限りだ。木偶の手が風呂敷のすき間からポロンとはみ出しているのも風情があって大変よろしい。「あー、この地には人形文化が根づいているんだな」とつくづく思う。感心するのは、留守宅であっても切った御幣を玄関につけ、きちんと木偶を舞わす点だ。手抜きは一切ない。中内さんによると、来年再び来た時に2回分まとめてご祝儀を出してくれる家もあるそうだ。三番叟を廻す人形遣いと迎え入れる家の信頼関係がなければ、こうした事は考えられない。

復活する会が公演を快諾

徳島人は門付け同行を一時中断し、辻本さんと一緒に法市にでかけた。法市での公演を同会に頼むため、実際に辻本さんに舞台を見てもらい、保存会の人と話し合ってもらう。同会のメンバーは1998年から2001年まで三好町在住の現役の箱廻し芸人に弟子入りし、技術と伝統を学んだ。師匠は徳島県西部と愛媛県新居浜市近郊で1500軒あまりの門付けを長年続け、01年で引退したが、メンバーは02年正月から門付け先の一部を受け継ぎ、門付けを続けている。彼らにとって三好町で人形を舞わすことは師匠への鎮魂と感謝の思いを込めることになる、と徳島人は考えた。
 辻本さんは舞台を非常に気に入ってくれ、集まった保存会の人たちに公演を約束してくれた。その後、公演日に予定した10月3日に、三加茂で別の公演も入ったが、何とかやりくりして来ていただいた。復活する会といい、花こまといい、プロに農村舞台公演をお願いするのは気が引ける思いもあるが、両座はいずれも快く引き受けてくれた。ただただ感謝の一言につきる。
 法市を引き上げ、再び、南さん中内さんとの合流を試みる。中内さんの携帯に電話すると、今は池田町から山城町に回り、あるお宅にお邪魔中という。国道から徒歩で土讃線を越え、日当たりの良い斜面を登った家のテラスで南さん中内さんはくつろいでいた。お茶や菓子をいただきながら家、健康など世間話に花が咲く。他人行儀ではない、打ち解けた会話に、箱廻しの芸能がこの地の生活にすっかり溶け込んでいることを改めて知った。
 南さんには忘れられない思い出がある。2003年1月26日、師匠の門付けに同行できなかった地域を回ったときのことだ。165軒回り、人形を舞わせたのはわずかに19軒。その中で112軒目に訪ねた家で素晴らしい出会いがあった。その家は毎年1月6、7日に三番叟を迎えていたが、昨年は師匠の引退で中断。長年、正月に三番叟が来るのを楽しみにしていたおばあちゃんは大変悲しみ、次の句を詠んだ。
 40年 訪れくれし 三番叟
    途絶えてさみし 後継者なし
 ちなみに師匠が来た2000年1月6日の句は次の通り。
 おめでとう 声勇ましく 三番叟
    訪れし 福の神
 両句の間にある喜びと悲しみの落差から、地域の人にいかに箱廻しが愛され続けてきたかがよくわかる。おばあちゃんは「去年は親せきが亡くなったりして不幸が続いたが、今年は幸せをくれた」と涙を流して喜んでくれたそうだ。
平成16年2月11日の門付けが終わったのは午後8時。池田の食堂でホッと一息つくと疲れがドッとでる。しかし彼女たちはこの日の20倍の家々を1カ月あまりかけ訪ねている。師匠はさらにその倍の1500軒だ。地域に根差す芸能の厳しさと素晴らしさを垣間見た。。

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阿波農村舞台の会